アルゼンチン
文と写真/岡本啓史(国際教育家)
¡Buen día!
「ブエン ディア!」――アルゼンチンの朝のあいさつ(「Buenos días=ブエノス ディアス」を省略したカジュアルな表現)。
アルゼンチンの公用語はスペイン語です。その発音は、基本的に日本人が読むローマ字とほぼ同じ。「Gracias=グラシアス(ありがとうの意)」など、日本人には比較的簡単です。ちなみに、アルゼンチンのスペイン語は特有の発音や言い回しが多く、他のスペイン語圏で慣れた人は混乱することもあるとか。たとえば、私という意味の「Yo」。ほとんどのスペイン語圏では「ヨ」と発音しますが、アルゼンチンでは「ショ」と発音します。また、イタリア移民が多かったためか「イタリア語に似て歌っているように聞こえる」ともいわれます。
ちなみに、日本語の「ねえ」と同じように、呼びかけによく使う「チェ」もアルゼンチン独特の表現です。アルゼンチン出身のキューバ革命家、エルネスト・ゲバラが「チェ・ゲバラ」と呼ばれるのは、彼がよく「チェ」といっていたことに由来するのだとか。
アルゼンチンと聞いて思い浮かべることは?
さて、スペイン語ひとつとってもユニークな特徴を持つ国ですが、アルゼンチンと聞いて、なにを思い浮かべますか。
ワインやステーキ、踊りのタンゴ、サッカーのメッシ、先ほど登場したチェ・ゲバラ……?? 中南米でブラジルの次に大きな国土を持つアルゼンチンは5つの地域に分かれており、各地域ごとに独自の文化があります。先住民グアラニー文化の影響が強い北部や、ヨーロッパ系移民が多い首都を含めた地域、そして巨大な氷河があるパタゴニアなど。風景も多様で山脈、森林、湖、砂漠、氷河、海岸線などを擁していますが、中でも「イグアスの滝」や「ペリート・モレノ国立公園」には世界各地から観光客が集まってきます。
ペリート・モレノ国立公園の巨大な氷河と虹の生み出す風景(2014年に筆者撮影)
今回は、そんなアルゼンチンのイネス・パルメイロさんの家庭の朝ごはんを紹介します。
イネスさんは、社会福祉を学びながら教育分野の仕事をしています。アルゼンチンのエントレ・リオス州にある「プエブロ・ヘネラル・ベルグラーノ」という、いつも鳥のさえずりが聞こえるような緑豊かな農村で暮らしています。アルゼンチンのスペイン語が独特であることはすでにご紹介しましたが、各地域においても慣習や特有の言語表現があります。たとえば、この地域では、子どもたちに「Hola, gurises」(こんにちは、グリセス)とあいさつするのが一般的です。
イネスさんの2人の子ども(グリセス)は街から少し離れた小学校に通っています。
朝食の主役が飲み物?--アルゼンチンの国民的な飲み物「マテ茶」
イネスさんの家の朝食にかならずといって出てくるのが「マテ茶」です。乾燥して砕いたマテの葉を使用した伝統的な飲み物で、ひょうたんで作られた容器と金属製のストロー(ボンビージャ)で飲みます。「飲む野菜」といわれるほど栄養価の高いマテ茶は、コーヒー、紅茶に並ぶ世界三大飲料の1つです。
マテの葉と容器、ストローとまほうびんに入れたお湯があれば、どこでもマテ茶を楽しめます。家族や友人といっしょにいるときは、だれかが飲んだあとにお湯を足し、同じ容器とストローを次の人に渡す「まわし飲み」がアルゼンチン全土で見られる慣習の1つとなっています。マテ茶がまわってきたときに「もう飲みたくない」と思ったら、「グラシアス(ありがとう)」といいましょう。次の番は不要と認識され、スキップしてもらえます。
子どもたち(グリセス)は、「マテ・コシード」というマテ茶を煮出して朝食に飲むのが一般的で、そこに牛乳や砂糖を加えることもあります。その飲料と共に、地元で栽培されるピーカンナッツも食べます。このナッツはなめらかな殻を持つ楕円形をしていて、栄養価が高く人気があります。
グアラニー文化の遺産であり、2013年にはアルゼンチンの国民的飲料として公式に認定されたマテ茶とピーカンナッツ(上は殻つき、下は殻を除いたもの)
アルゼンチンの朝食の定番「ガジェタ・スイサ」と「ドゥルセ・デ・レチェ」
また、フランスパンや「スイスビスケット」(ガジェタ・スイサ)も朝食の定番です。どちらも小麦粉とイーストで作られ、地元のパン屋で購入するのが一般的です。スイスビスケットは四角い形をしていて、バターやラードを使って作るのが特徴ですが、さらにバターやアルゼンチン独特の「ドゥルセ・デ・レチェ」を塗って食べるのが、イネスさんたちのお気に入りなのだとか。
ドゥルセ・デ・レチェ(Dulce de leche)は、牛乳と砂糖を煮つめて作られた濃厚で甘いキャラメルクリームのこと。日本でも、お菓子やアイスの風味として人気がありますよね。その起源には諸説ありますが、1829年に政治家フアン・マヌエル・デ・ロサスの料理人が牛乳と砂糖を煮過ぎて偶然発見したという説が有力だそうです。
ヨーロッパの影響を受けたパンに、アルゼンチン独特のスイーツでもあるドゥルセ・デ・レチェやバターを塗って食べる。
アルゼンチンと日本、まったく違うようで、似ているところもイロイロ…
今回紹介したアルゼンチン人のイネスさんの朝食は、マテ茶とピーカンナッツ、そしてパンやスイーツと、日本とは違ったところが目立ったかもしれません。違いはほかにもあります。そもそも北半球と南半球という違いがあり、季節が真逆--たとえば12月のクリスマスには両国で盛り上がりますが、アルゼンチンは真夏なので「サンタクロースは暑くてたまらない」という常識があります。
一方、共通点もいくつかあります。
まず、「日本茶」と「マテ茶」という、少し甘味も苦味もあるお茶を飲む文化が伝統としてあること(日本では近年、アルゼンチンほどお茶は飲まないかもしれませんが)。
次に、「牛肉」を非常に重視し、そのおいしさを引き出すさまざまな調理法があります。
また、国内に多様な文化と自然環境があり、自然災害が起こりやすい点で、その美しさと怖さを知る民族であるともいえます。
ボリビアのウユニ塩湖での、イネスさんとの出会い
さて、イネスさんと私との出会いは2009年と、かなり前でした。
当時、私はニューヨークで料理人をしており、スペイン語を独学していました。その言葉をもっと使っていろいろな世界を見たいと思い、暇さえあれば南米に一人旅をしに出かけていったものです。今でこそ爆発的な人気スポット、でも当時はそうでもなかった「ボリビアのウユニ塩湖2泊3日ツアー」に参加したさい、友人といっしょに参加していたイネスさんと知り合いました。
その後、私がアルゼンチンを再訪することになったさい、イネスさんが案内してくれることとなり、私(つたないスペイン語)とイネスさん(アルゼンチンで使われるスペイン語)でのコミュニケーションが始まりました。イネスさんは、恵まれない子どもや孤児のために社会福祉や教育の活動をしていたので、しばらくして教育の道に進もうと決めた私は、改めて彼女の仕事に興味を持ちました。そして活動場所や学校訪問を願い出るとイネスさんは快く受け入れ、現地で授業を実施する体験をかなえてくれました。
〈左〉子どもや若者教育に携わる活動中のイネスさん(右端)。〈中央〉イネスさんと共にマテ茶を飲む筆者。〈右〉イネスさんの活動先の(今では大きくなっている)子どもたちと筆者。(いずれも2011年撮影)
思い返すほどに、いろいろな友だちや家族の紹介を通じていろいろなアルゼンチン人と触れ合う機会をくれたイネスさんに感謝の気持ちでいっぱいです。なにより、1つの容器とストローでマテ茶をまわし飲みするという慣習に私も最初は戸惑いましたが、イネスさんの仲間と共に過ごす中で、その慣習がとても心地いい行為であることを実感できました。
現在、イネスさんは2人の子どもを育てながら、恵まれない子どもたちのために活動しています。その活動には「他人を思いやり、みずからの持ち物を提供する」という、マテ茶の慣習にも似た思想が感じとれます。アルゼンチンの国民的飲み物であるマテ茶自体も健康的でおいしいのですが、「マテ茶をまわし飲みする」時間の中で、人間同士の「温かみ」に気づくことができるのかもしれないとも思いました。今回紹介できなかったアルゼンチンの魅力は、まだまだたくさんあります。読者の皆さんが、もしアルゼンチンの人と出会う機会があれば、「マテ茶の慣習」を体験してみることをおすすめします。
〈左〉ブエノスアイレスの学校を訪問し、ミニ授業を体験。〈中央〉イネスさんの家族と筆者。〈右〉緑に囲まれた村に住むイネスさん一家。
【参考文献】
【筆者プロフィール】岡本啓史(おかもと・ひろし)●国際教育家、生涯学習者、パフォーマー。これまで国連やJICA等で5大陸・45カ国の教育支援を実施。ダンサー、役者、料理人、教師の経歴も持つ。学びに関するブログを5言語で執筆し、ライフスキル教育、講演活動、グローバル学び舎運営など、日本内外で国際理解・幅広い学びやウェルビーイングの促進に注力中。著書『なりたい自分との出会い方:世界に飛び出したボクが伝えたいこと』(岩波書店)『せかいのあいさつ』全3巻(童心社)監修。サイト/SNS:https://linktr.ee/mdhiro |
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